About Me

はじめまして、samampe(サマンぺ)です。東京で写真をやっています。
嫌いな写真は薄い中身をエモ散らかして誤魔化したウソ写真、好きな写真は湿度のある「幸せ」な写真です。

なぜ、私は写真を撮り続けているのか

私が生まれ育ったのは閉鎖的な田舎の空間で、世間体を気にして何かを隠したり、見栄を張ったり、「恥」を必要以上に気にしたり、そういう大人たちが周りに多かったのでは、と思います。

そういう息苦しい場所で(ぬくぬく)育った自分が、親の部屋のベッドの下から出てきた裸の女性の写真が載った本に衝撃を受けたのでした。そう、それは通学路でたまに落ちていた、あの手の本でした。

「隠す」ことが当然の世界だと思っていたのに、すべてを露わにした大人の人が、恥ずかしがる素振りも見せずに、わざとポローン、としながら微笑んでいるのです、楽しそうに。思春期バリバリ(当時小1)の自分にはまさに衝撃でした。

よし、自分もいつかこういう写真を撮ったるぞーい、と意気込んだのが小1、なぜこういう本の(主に男の)需要があるのか、というすべての子供に隠されていた不都合な真実(性行為)の存在に気づいたのが小3くらい、という歪んだスタートです。あの頃、自分は本当に何の意味もわからず・知らず、本能で「撮りたい」と思ったのです。

カメラを買って良い、という親からの承認が中々降りずに悶々と数年を過ごし、高校生になってデジタルカメラが現実的に手に届く金額、画質になった時が写真人生の始まりでした。

それから10年以上、なぜ飽きずに続けているのか。

本当に撮りたかった”何か”が、まだ撮れていないから、です。

発掘した本の女性は、「仕事」で裸体を晒す、いわばプロの裸の写真でしたが、あのとき、ピュアだった私は、そこにただの仕事以上の何らかの真実がある、と信じたのです。完全に信じ込んだのです。

他人に晒すことが憚られるような恥部をあえて晒す、という行為。

ただ普通に裸の人を撮っても、その”何か”は撮れないとわかった時は、本当にショックでした。写真人生の第2のスタートでした。

年を重ねるごと、裸 = すべてを曝け出す、ということではない、ということを身を以て実感します。

「曝け出す」とは何を露わにすることなのか。人は隠したいものを本能的に隠して生きている。その恥部や秘部は服の下にあるとは限らない。でも、写真はそれが何であれ見える形にして露わにする力がある、写真というのはすごいし、隠された中にその人の「生」や「美しさ」の本質がある。そう私は信じています。

何事にも遠慮することなく、バンバン晒すことにこだわったアラーキーの写真が、自分の思いはただの妄想ではなかったのだ、と自信をつけてくれました。(アラーキーはやり過ぎてしまいましたが)

「すごい」を撮りたい自分と「晒したい」モデルのケミストリーを起こしたい。ダサくてかっこ悪い、リアルな愛を「写真」にしたいのです。だから今も、私は写真を撮り続けています。

本当に「良い」と思えるものを一緒につくっていきませんか?

 

私に影響を与えた原体験

原体験 1. はじめての女性、母親

ほとんどの男の子にとって母親ははじめて接する女性となることでしょう。気持ち悪いし、認めたくありませんが、私の場合も例外ではなく、自分の女性像のベースとなったのは母親だったのでしょう。健全な家庭に生まれた男の子にとって、理想な女性は自分の母親(女の子なら父親)という話は、美談としてよく見聞きますが。

きっかけは覚えていませんが、暗く広くて誰もいない、道の駅くらいの規模の公衆トイレのような場所だったり、あるいは地下室だったりで、母親を殺して証拠を隠滅する、という妄想をしていました。何度も。

完全犯罪なら大丈夫だろうかとか、まさかこんな子供がやったとは誰も思わないだろうとか、と小学生のうちから何度も何度もそのことを考えていました。考え抜いた末の絶対に”殺れる”シチュエーションが前述の暗い空間。

なぜ殺人を真剣に考えていたのか。この人を殺さなければ本当の意味での自分の人生は無いと思ったから。今ではそんなことは全く思いませんが、幼少期の子供にとってはそれくらい親という存在は絶対的であり、母親の支配的な性格と異常な過干渉はそれを助長させていました。

そして、この頃、自分が知り得ていた女性の全てがこの人であり、世の女性の全てがこの人をベースになっていたのです。歪んだスタートでした。

原体験 2. 「髪の長い子」だった小学生時代

私の性癖に影響したこと、また青春時代を台無しにしたことであらゆるモノの見方(特に女性観)が変わったこと。そのエピソードは、「貞子」と呼ばれるほどに髪が長かったことでした。

小学校の低学年は丸坊主だったはず。小3から髪を伸ばし始めて、小6のバレンタイン前くらいまで美容院では毛先のメンテだけをやってもらいつつ、1度もカットせずに過ごした結果、長さは腰まで到達するほどに。

きっかけは、母親の「女の子が欲しかった」という歪んだ愛情。レゴ(当時好きだった)を買ってあげるから、という甘言にまんまと載せられて。

ある程度長くなった後に、女の子の服を着せられて写真館で写真を撮られたのは、ある意味で自分の初の写真体験だったのかもしれません。

「女の子みたいな男の子がいる」と言う噂は次第に広がり、小学校の参観日で母親が「あ、オカマのお母さんが来た」と陰口を叩かれるようになった頃から、「そろそろ切って欲しい」と、伸ばせと言った張本人から言われるように。

これは良い復讐になるぞ、と思った私は、それからも髪を伸ばし続けることを心に誓い、校則がある中学校生活の手前まで、スーパーロングを保つことに”成功”しました。

今でも「黒髪ロング」に強く惹かれるのは、自分がかつてそうだったことと、キープすることの大変さを知っているからでしょう。私がポートレートに描きたい理想の女性の姿は、あの頃の「自分」を美化したもの、あの頃にはたとえなりたくてもなれなかった理想の自分像が、それに相当するのかもしれません。

髪を切り、久しぶりに自分の男の姿を見たときに、これはバレンタインになると靴箱がチョコで溢れ返るアレが現実になるかもしれない、と思いついた通学の帰り道にニヤけちゃって笑いが止まらない、と言う楽しい時間を今でも鮮明に記憶しています。けれども、もらったチョコは1つもありません。

髪を切った私に残ったのは、「元オカマの気持ち悪い変態」という、今後の学生生活を送る中で、2度と剥がすことのできないレッテルでした。

この人は、女の子を育ててみたかった、という理由で私に髪を伸ばすことを強制した人でした。 この人は、ヒステリーを起こすと止められない人でした。 この人は、自分が全て正しいと思っており他人の過ちを許さず、思い出すたびに誇張をし続けて恨みを深くし、一方で自分の過ちは無いものとする、とても記憶の隠蔽がうまい人でした。 この人は、赤ん坊の頃から私を愛情を持って育て続けたと心から信じている人で、請われたものは全てを与えた一方で、私から何も奪ったことはないと信じている人でした。 この人は、自分の自己犠牲のおかげで全てが成り立っているんだ、と信じてやまない人で、私が犠牲にしたものは何もなく、かわいそうなのはいつも自分なんだ、と信じている人でした。 この人は、私の父親の幸せと家族を破壊した張本人でした。でも、この人にとって自分は最大の被害者と信じている人でした。

父親はずっと単身赴任だったので、この人と騙し騙しでもうまく暮らしていくことが、私の生活の全てを、生死を左右する大事な条件。私は常にこの人を不快にさせないことに必死な幼少期を送っていました。そのことをよく思わない父親との距離も離れ、余計に孤立します。

女性像形成に影響した2人目の女性はおそらく母方の祖母。祖母の家に預けられることも多く身近な親類だったのですが、母親の異常性を何度訴えても、この人には通じませんでした。私が20の頃に実家を出て後に、祖母は母親と2人で生活を始めましたが、実子からひどいDVを受けた祖母はDVシェルターに身を寄せてこの2人暮らしから抜け出しました。その直前に、アパートの階段で同居生活での言葉と体の暴力体験に涙を流す祖母に「ざまあみろ」と直接言ったことを今でも覚えています、こうなる前に病院に連れて行って欲しいと何度も言ったのに、今さら認めてももう遅いよ、と。この人も、自分は正しいと信じており、人の言葉を受け入れることのできない、可哀想な人でした。

親、親類と縁を切って第二の生活を始めたことと、「写真人生の第2のスタート」は、ほぼ同時期の頃でした。

 

モデル募集

モデルを探しています。

誰かの可愛い、綺麗を強調する、女の上部の自己顕示欲を満たし、男のあわよくばを期待させるだけの使い捨て写真を撮るのはやめました。

写真を通して自分と向き合い、その姿を晒すことで、さらに自分と見つめてて昇華させる。この表現活動を共にするという意味での、”共犯者”を探しています。

敷居を低くして万人を受け入れたいつもりは少しもありません。むしろ、厳選したいし、厳選されたい。会ってからやっぱり合わなかった、というのも人間ですから大いにあり得ることだし、タイミングによる不調もあるでしょう。

楽しい写真体験を共有したい。コミュニケーションが取れること、関係が続くのなら継続して撮影できることを求めています。

たまに誤解されますが(面白いのですが)、「共感したならさあ服を脱げ」とは言ってませんし、言いません。むしろ最初はコーヒーでも飲みながらお互いにお話を伺うだけ、でも歓迎です。最初からすべてをオープンにしていただく必要もありません。

ご興味のある方は以下もご確認いただいた上で、ご連絡ください。こちらには、もっと一般的な普通の条件を書いています。

モデル・被写体をご希望される方へ

 

なぜ撮る動機、原体験を書いたのか — 後書きとして

あまり人には話さないような内容を書いている自覚があり、それに、知られても嬉しくはありません。(気を引きたいつもりもありません。)

「隠された本質に迫りたい」と言いつつ、一方で自分のことを晒していないことに違和感を覚えたのと、書いたところできっと誰も読まないでしょう(ここまで読んだ人が居ても流し読みの人が多いでしょう)と考え、それならば本当に伝えた方が良い人(まだ会っていない居ない人も含めて)に伝えられる機会を創出した方が良い、という気持ちでこれを書きました。

同じ方との撮影を何度か重ねていると、ご自身の方から過去の体験や現在の思いなどについてのお話をしていただく機会が自然と増えてきます。でも、その話の流れで私の話になったりすることも少なく、また、なったとしても深い話にならないのが経験上、ほとんどです。

「この人に自分のことを話しても大丈夫なのだろうか」と悩むことがあるでしょう。反対に、「この人のことを聞いてもいいのだろうか」と悩む(遠慮する)こともあるでしょう。

お互いがお互いに対して無関心では、写真機を向けてシャッターを切る行為を成立することは出来ても、真に何かを写とった「写真」行為は必ずしも成立するとは限ら無いだろう、と考えています。

合う/合わない、理解できる/できない、許容できる/できないなど、線引きと判断は人それぞれの価値観に委ねるとし、そのための判断材料の一部としてある程度の自己開示は必要だろうと考えて、この文章をここに掲載しました。

動機や目的、考え方や感じ方が全く同じである必要は無いし、むしろ違いがある方が価値観の対立と議論から、立体的な面白いものを作れます。私という人を好きである必要もありません。(人として嫌いだけど写真を一緒にやりたいと言われる方がぞくぞくしちゃうかもしれませんね。)

ただ、同じくらいの熱量を持って取り組むことが出来なかったり、言葉あるいは文字でのコミュニケーションが成立しない方とは何かを作るのは無理だろう、と考えています。

「この人となら話ができそう」と思っていただけて、私もその気持ちに応えられそうと返せたときに、まずは1つ何かを作れる気がします。私はそう感じます。

と、ここまで「こいつちょっと頭おかしそう(だから期待できる)」と思っていただける文章を意識して書いておりましたので、最後はまともっぽく締めてみます。

私の文章にお付き合いいただき、読んでいただきありがとうございました。